コンセプトのこと。こどもというノイズ。

なによりも女将としてこだわっている部分は、こどもというノイズを共有する空間をつくるということ。

昨年一度しごとをご一緒した音楽家の大友良英さんは、ノイズというジャンルの音楽をされていて、彼の書籍(対談集)で語られていることに共鳴したので、ここでは「ノイズ」という言葉を肯定的に使用しています。

こどもは大概どこの場所でも「ノイズ」として存在し、子を持つ家庭は出掛ける場所を選び、その姿を見る遊びたい・働きたい盛りの親予備軍たちは、こどもを産み育てることを若干憂慮する。現在2人のやんちゃくそ坊主とお嬢と暮らす母であるわたしも、かつての独身都市生活者時代は、電車の中などでこどもの存在を迷惑がっていたタイプの人間であって、たまたまあちら岸からこちら岸に渡ることになっているだけなので、ノイズを排除して楽したい気持ちはよくわかります。(今だってキャパシティは狭い)

大友さんと作家の高橋源一郎さんの対談の中で語れているのは、世の中は本来ノイズだらけなのに、文明がどんどんノイズをとっていって「意味のある」もの、強いものだけが残っていくのはつまらないことだし、実はとても脆いということ。わたしも映像を編集したことがあるのでわかるのですが、コンピューターで波形を見たらノイズだらけで、でもそんなの聴こえないし無駄だしきれいにしようといってノイズをとっていったら無茶苦茶違和感のある音になってしまう。社会も同じこと。

わたしがお客さんとして、こどもふたり連れてオシャレ系ゲストハウスを予約しようとしたら、こどもはお断りと言われてしまいました。この時のざらざらした感情は、ますます元湯女将としてのわたしのハートに火をつけました。

こういうことを使命として場づくりをしているから、わたしが、元湯という場で「ゲストハウス」というものをつくっている感覚がほとんどないし、わたし自身言葉になじんでいないのかもしれないです。

相部屋こどもNGも多いですが、元湯ではあえてしていません。わたしがお客なら個室をだいたい選ぶからその選択肢としての個室はあるけど、もしなんらかの理由で相部屋が良ければ相部屋を使ってもらえばいい。そこでノイズが発生したら、そこで対話をすればいいと思っています。属性だけではじめから排除してノイズを回避するのはどうかなと思うわけです。

かといって、子連れが権利を主張してえらそうにするのは違うと考えているし、子連れにサービス過剰にするつもりもないです。わたしはそれを「バリアフリー」ならぬ、「バリアアリー」と言っています。(以前BRUTUSの取材にて)バリアというノイズをクリアにしてしまわないで、ノイズと共に暮らしていく方が、こどもも親もたくましく育っていくという視点です。元湯の改装に際しては、こどもが楽しめる仕掛けやパッと見にこどもウエルカムな装いにはしています。(詳細は後日別途)それは、こども自身が歓迎されていると感じないと楽しめないし、こどもが行きたいと思わないと、結果、親も滞留できないので。あとは、こども連れでないお客さんにも、ここのスタンスを一瞬で伝えるためです。ただ、バリアはたくさんあると思います。段差は当然あるし、薪ストーブはあるし、目の前には川があるし危ないと思う人もいるかもしれない。冬は雪だらけで、入り口にたどり着くまでに泥だらけになるかもしれない。でもそれをぐっとこらえて見守ってあげれば、こどもも親も成長していくと、長男が通う森のようちえん(園舎がなく森の中がフィールド)で日々学ばせてもらっています。

すっかり見た目やコンセプトが変わって(元のキャッチフレーズは「老人憩いの家」)、ここに元々ついている温泉ファン層のおっちゃんおばちゃんたちは見た目に最初びっくりするかもしれないけれど、温泉を求めて遊びにきてもらううちに、価値観を交換しながら、ここに通うこどもたちや親たちのじいちゃんばあちゃんになって欲しいと思っています。そのための仕掛けもじっくり時間をかけてやっていくつもりです。

はたらき方も、女性だと特に「子育てか/しごとか」「専業主婦か/保育園にあずけるか」のように選択に度々迫られます。わたしはそれがごっちゃごちゃになった状況を乗りこなしていって、それを元湯の女将として、しっちゃかめっちゃか自らノイズとなりながら体現していこうと思っています。そんな姿をみて、こども育てるのも面白そうやなと親予備軍の子たちがあちら岸からこちら岸にやってきてくれたら、とも。それができそうな展望があるのも、スタッフや友人たちという存在に出会えてしまったからです。そのこともまた別の機会に。

(女将 井筒もめ)

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